落語家さんはお客様に差し障りのない噺をするのに気を遣うそうですが、一番差し障りのないのは「泥棒」「ケチん坊」だそうで。
なぜ「ケチん坊」を悪く言って差し障りないかと言うと、「ケチん坊」は金を払って寄席には来ないそうで、「何も笑うのに金払うことはねえよ。家でカミさんにくすぐってもらおう。」こういう連中が噺家の恨みを買って落語の方ではかなり悪く言われると、三代目・古今亭志ん朝師が言っていたのを覚えてます。
今回はそんなところで
しわいや
「久しく来なかったねえ。」 「へえ、すみません。あたしゃこのごろ、戸外(おもて)に出ません。」 「どうして?」 「下駄が減りますから?」 「偉い、下駄が減るから戸外に出ないなんざあ頼もしいねえ。じゃ、もっぱらお前はお金を貯めてるんだね。」 「まあ。そういうことはいえましょうねえ。あたしは考えたんですが、三度の食事ってものは飯と塩っ気があればさえあればいいんで、いろいろとおかずは無駄があることにくがつきましてね。この頃はおかずはも梅干しです。」 「偉い。梅干しとはいいところに気が付いたね。どういう食べ方をしているんだい。」「朝は梅干しの皮で飯を頂くんです。昼に身を半分おかずにしましてね。晩は残りの半分で飯を頂きまして、後で種を金槌で叩き壊して中の天神様を頂きながら茶を飲むんです。日に梅干しが一つですよ。」

「そりゃ贅沢だね。」 「え?一日ひとつですよ。」 「贅沢だよ。一年に見積ったら三百六十五個、莫大な金額だよ。私だったら一個で一年だね。」 「一個で一年?!そんなに持ちますか。」 「だいたいね、梅干しは食べるもんっじゃない。皿の上に置いて飯をよそった茶碗と箸を持ってにらみつけるんだ。

あの梅干しを食べたら酸っぱいだろうなと考えると口の中に酸っぱい水が溜まってくる。その勢いで飯食べるんだ。」 「梅干しを食べるんじゃなくてにらむんですか?」 「しかし、一年もにらむと梅干しもやせるね。」 「それで一年に一個ですか。」 「お前扇子を持っているね。」 「まだ暑い日が続きますからね。」 「お前のことだから、それを一年で捨ててしまうことはないだろうね。」 「私考えたんですがねえ。これを向こう十年は使いますねえ。」 「どういう風に?」 「この扇子の風のくるところてえのは決まっているんですから、全部開くのは無駄です。半分開いて、これで五年間あおぎます。五年使えば痛みますから、畳んである方を開いて、これで五年間あおぐんで、都合十年間。」「あたしだったら孫の代まで残すねえ。」 「孫の代まで?」 「ちょいと貸してごらん。あたしゃあお前みたいに半分だけ開くなんてことはしないね。全部開いちまう。開いた扇子は胸のところへ当てがって、首の方を振る。」

「これは驚いた。これでお金を貯めるにはなにか極意がありましょうねえ。」 「あるよ。」 「それ、私に教えてくれませんかねえ。」 「そうだ、おまえには見どころがある。ああ極意を教えよう、お金を貯める極意をな……。さあ、一緒においで、いいかい……さあ、この松の木に梯子をかけたろう。これをお前が登ってって、これはと思う枝に足をかけたらば、両手を伸ばして上の枝をつかむんだ。やってごらん。」 「へい……ちょいと待ってください・・・・・・・これはと思う枝に、片足かけて両手で上の枝を、掴みました(両手で掴んだ態)」 「よし、梯子を取るよ。」 「(下を見て)ああ、梯子取っちゃ危ない!」

「びっくりしちゃあいけない。お金を貯める極意だ、命がけで覚えとくれよ。まず、左の手を放してごらん。」 「左の手を?ははは(ゆっくり放して)放しましたあ!」 「右の手の小指を放せ。」 「右の手の小指?(そっと放し)放しました!」 「薬指を放すんだ。」 「薬指を?……放しました!」 「中指を放せ。」 「中指を?(恐る恐る放し)放しました!」

「人差し指放せ。」 「人差し指‥‥‥冗談言っちゃいけねえ、これ放しゃ落っこっちゃいますよ。」 「だからさあ、判ったかい?(右手の親指と人差し指で丸を作って前に出し、金の形を示して)どんなことがあってもこれだけは放しちゃあいけねえ。」

上記の定本は初代・林家彦六師が上方の「始末の極意」を三代目・桂米朝師から教わって導入した演り方です。「始末の極意」ではこの前に、「『住吉大社』にお参りに行き、お賽銭をあげた後で、近くの駄菓子屋で飴玉を買い、付近で遊んでいる子供の中でしつけの行き届いてそうな子にあげる。しつけの行き届いている子なら、その場で食べないで母親に見せに帰るはずだから、その後をついていき、ぐうぜん通りががったふりでその家の人と仲良くなり、お茶をご馳走になり、煙草をうっかり忘れたふりで先方の煙草をご馳走になり、隙を見て自分の煙草入れに先方の煙草をいっぱいに詰め込んで、長々と世間話をしながら食事をご馳走になり、帰りに先方で漬けた漬物をお土産に持たしてもらったという話をして自慢する件があるのですが、江戸っ子である初代・彦六師は「同じケチでも意地が汚くて品がないという。」理由で導入しなかったようです。
サゲは他に「ケチ比べ」をして帰る段になるが、暗くて玄関が見えない。 「履物を探すのなら、そこにある金槌で目と鼻の間を叩け。」 「目から火がでます。」 「その火で探せ。」 「そんなこともあろうと思って今日は裸足できました。」 「私もそうだろう思って畳を裏返しておいた。」 というのがありますが、私は上記の初代・彦六師のサゲの方が面白いと思うのでこちらを記事にあげました。 十代目・金原亭馬生師は、松の木にぶら下がって、 「左手を放せ。」 「放しました!」 「右手を放せ。」 「冗談じゃない。これ放したら落っこちゃいます。」 「だからな、一ぺん掴んだものは二度と放すな。」 と演じてました。
しかし、近頃の物価高には驚きます。 「梅干し」にして無添加のものが一個百円以上するんじゃないかと思うような値段のパックで売られてたりしますからね。

「梅干し」は「食べる」ものではなく「睨むもの」と言っている「しわいや」の気持ちがわかるような気がします。 二代目・桂枝雀師演の「始末の極意」中で「梅干し」を「一日一個」食べるのを「ローマの王侯貴族みたいな食べ方なんて言っていたのを思い出します
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるこの時期。 皆様、ご自愛ください。

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