強い冬型気圧の続く中、火災のニュースをちょくちょく見聞きします。 「火事」は「江戸の華」と言う人がいますが、「華」は「華」でも「悪の華」ですな。 今回は「火の用心」に因んで、そしてある意味の「おめでたさ」も込めてこの噺を取り上げたいと思います。
牛ほめ
頓珍漢な言動ばかりしている与太郎。万事が世間の皆様とズレているので、父親は頭を抱えている。
今度、兄貴の佐兵衛が家を新築したと聞き、これは与太郎の汚名を返上するチャンスだと考えた父親は、家を褒めさせるため、与太郎に次の口上を伝授しようとする。

結構な御普請でございます。普請は総体檜造りで、天井は薩摩の鶉木目。左右の壁は砂摺りで、畳は備後の五分縁でございますね。お床も結構、お軸も結構。庭は総体御影造りでございます。
そこでさらに台所の柱に節穴があることを指摘した上で、そこに秋葉様の札を貼れば、火除けにもなって節穴も隠れると言えば、小遣いを恵んでくれるだろうと話す。

与太郎がもっと何か小遣いがもらえるものがないかと尋ね、父親は伯父の飼っている牛を褒めろと次の口上も紹介した。
この牛は、「天角地眼一黒直頭耳小歯違」でございます。
「天角地眼-」というのは、菅原道真公が寵愛した牛の特徴で、最高の褒め言葉だと説明する。
練習させると与太郎は天井を「薩摩芋に鶉豆」、「左右の壁は砂摺り」を「佐兵衛のカカァはおひきずり」などと言う始末。やむなく紙に書いて与太郎に渡し、伯父の家に送り出した。
伯父のところにやってきた与太郎は、父親との練習通りに挨拶をすませて、隠し持った紙を読みながらではあるが、何とか口上を言うことに成功。
水を飲みたいと言って台所へ行き、節穴を見つけて、教えられたとおり秋葉様の札を貼るように進言、感心した伯父は1円の小遣いを渡す。

そこで与太郎が牛小屋に出向いて「天角地眼-」とやっていると、牛が目の前で糞を落とした。

「畜生のあさましさだ褒めた人の前でも糞をする」という伯父に与太郎は、ここにも秋葉様のお札を貼ればという。

伯父「馬鹿!罰が当たらァ。」
与太郎「穴が隠れて、屁の用心になる。」
共立女子短期大学教授 武藤禎夫先生は狂言の「馬鹿聟物」あたりが発祥ではないかとしています。 次第に内容が付加されて「噺本でも近世初期と末期では(中略)格段の差がみられる」としています。0大阪学芸大学教授 前田勇先生は安楽庵策伝「醒酔笑」第1巻「鈍副子(どんぶす)」を発祥とし、元禄11年(1698年)に京都で刊行された『初音草噺大鑑(はつねぐさはなしおおかがみ)』第4巻の「世は金が利発」(新築した家の天井に開いた穴に火除けの札を貼ることを教えられた男が、知り合いの娘の指にできた「魚の目」に札を貼ることを提案する内容)が原話としています。 また、貞享4年(1687年)に出版された笑話本・『はなし大全』の一編である「火除けの札」にも「世は金が利発」と同一の内容があるようです。 天保4年(1833年)の『笑富林(わらうはやし)』に収録された初代・林屋正蔵師の「牛の講釈」はほぼ現行の演目と同じ内容で、武藤禎夫先生は「完全の一席の落語に仕上がって」いると評しています。
関西では『池田の牛ほめ(いけだのうしほめ)という演目で、題は新築した家が池田にあることに由来します。京都大学名誉教授佐竹昭広先生と落語作者・研究家三田純市先生の編著『上方落語』下巻(筑摩書房、1970年)は、類似の民話や関東の『牛ほめ』にある、親が「馬鹿息子」を思いやるという要素が『池田の牛ほめ』には見られない点に着目して、関東から関西に移入されたものではないかと述べています。 前田勇先生は、上方では文化(1804 – 1818年)ごろの『写本落噺桂の花』二編下巻の「おろかしきむすこ」に見えると記しています。 関西でも関東同様前半のみを演じる場合があり、その際の演題として『新築祝い』(しんちくいわい)を用いる演者もいたようです。
私は最初「少年少女名作落語(偕成社)」で読みました。「与太郎」というキャラもこの噺を通じて知り、読みながらかなり可笑しくて笑ったのを覚えてます。その後、四代目・春風亭柳好師演、五代目・三遊亭圓楽師演をテレビの寄席番組で視ましたが、ナマでは三遊亭栄馬師演を聴いてます。関西の「池田の牛ほめ」はCDで五代目・桂文枝師演を聴きました。 関東の違いは頭の少々弱い男が従兄弟に「『金儲け』の話がある。」と言われるところから始まるのですね。 そして「(牛の尻の穴に)秋葉様の札を貼っときなはれ。」でサゲてます。 「屁の用心」という地口はありません。
私が聴いた中では四代目・柳好師演が一番面白かったですね。与太郎が難しい家の褒め言葉を復唱しながら教わっているうちに口ごもってしまう可笑しみ、佐兵衛伯父の家に行って「こんにちは。」と挨拶する。伯父さんが「挨拶出来るようになったか。偉いな。」と褒められ、 何遍も「こんにちは。」と言っているうちに、伯父が「やっぱり馬鹿だ。褒められたら何度でもやってやがる。」と呆れる可笑しみは師ならではでした。変わった演じ方で十代目・文治師演は佐兵衛伯父の家を褒めて台所の柱の節穴に「秋葉様の札」を貼ることを勧めて一円の小遣いをもらって気を良くした与太郎が父親にもっと小遣いを貰える口はないかと尋ねると「『牛乳屋』の伯父さんところの『牛』を褒めてこい。」と言われて「牛ほめ」の展開になる噺の進め方でした。
「牛乳」はいつから日本で飲まれるようのなったのでしょうか? 日本における牛乳の歴史は、飛鳥時代の645年(大化元年、大化の改新が始まった頃)に始まります。当時、百済から来た帰化人の善那(ぜんな)が孝徳天皇に牛乳を献上したという記録が残っているそうです。

栄養価が高い牛乳は、ただの飲料ではなく「飲む薬」として位置付けられ、皇族の健康を支える重要な役割を果たしました。 その後も牛乳は皇室内で特別なものとして扱われ、一般庶民には無縁のものでした。 平安時代に入ると、皇族から貴族へと牛乳の飲用が徐々に広がりました。 宮廷内では、牛乳が贈り物としても利用され、その高価な価値ゆえに栄養だけでなく、権威を象徴する存在でもありました。 平安貴族たちは健康を保つために牛乳を取り入れる一方で、希少性が高いため日常的な飲料にはなり得ませんでした。 戦国時代においては、牛乳の需要は大幅に減少しました。 乳を出す牛よりも、戦場で重要な役割を果たす馬のほうが重視されるようになり、牛は農耕や運搬などの労働力としての役割が優先されました。

この時代には、牛乳を飲むと牛になるという迷信が広まっていたと言われています。 そのため、牛乳は多くの人々に敬遠されていました。 司馬遼太郎先生の「国盗り物語」がNHK大河ドラマ化されたのを視たことがありますが、少年だった織田信長(川口英樹)が竹筒に入れた牛乳を飲んでいる場面がありました。そして父親の織田信秀から「牛になるぞ!!」とたしなめられるのですが。 後に豊臣秀吉がこの迷信を確かめるために実際に牛乳を飲んでみた、という話が伝わっています。 これが事実であるかは定かではありませんが、秀吉の好奇心旺盛な性格を象徴するエピソードとして語り継がれています。 このような話からも、当時の牛乳に対する文化的な距離感がうかがえます。 江戸時代には八代将軍・徳川吉宗がオランダ人に馬の医療用として牛乳の必要性を教えられ、インドから牛3頭を輸入、そして牛乳生産が千葉県南房総で開始されました。 この頃、牛乳は栄養を補う薬としての役割が強調されており、病気治療や滋養強壮のために一部の医療現場や上流階級で使用されました。

また、1866年(慶応2年)に横浜で牧場を開いた前田留吉が、搾乳技術をオランダから学び、本格的に牛乳の販売を始めたことは近代酪農の礎となりました。 明治時代になって、西洋文化の流入とともに牛乳の消費が急速に広まりました。 1871年(明治4年)には「天皇が毎日2回ずつ牛乳を飲んでいる」と新聞や雑誌で伝えられ、それを読んだ国民の間に牛乳の飲用が広まっていきました。 この時代には、牛乳店の経営が多くの武士によって始められました。 彼らは武家屋敷跡に牧場を作り、自ら牛乳を搾取し販売するビジネスを展開しました。このようにして、牛乳業は近代日本の産業の一翼を担う存在となったのです。 NHK連続テレビ小説「ばけばけ」でもヒロイン(高石あかり)の元武士である父親(岡部たかし)が牛乳を商ってますね。 当時の牛乳は、ブリキ缶で運ばれ、「ひしゃく」を使って5勺(90ml)ずつ量り売りされていました。しかし、流通や品質管理が未発達な時代であったため、腐りやすい牛乳を毎日もしくは1日2回配達する必要がありました。

これにより、都心は牛乳店に適した場所とされ、新政府も殖産興業と士族授産政策として牛乳店を奨励しました。 こうした背景から、牛乳店は文明開化のサクセスストーリーの旗手として急増していきました。 初代・正蔵師による「牛の講釈」は読んだことはありませんが、「一席の噺として仕上がっていた」天保年間において、噺の中の佐兵衛伯父は上流階級の人たちを主に「牛乳」を商っていたのでしょうか? それとも運搬などの役用として牛を飼っているのでしょうか? まあ、そこは演じる落語家さんの考え方次第でしょう。
「秋葉様の札」についてですが、熱田の両参り「熱田さま」「秋葉さま」としてしたしまれている秋葉大権現は火の神様として敬われ“火防守護”その他七難を除き、除災開運・家内安全・授福繁栄の神様です。
秋葉山圓通寺は日本最古唯一の秋葉大権現ご出現の霊場で、今より千八百年程前草薙剣を奉齊した熱田神宮の境内に日本武尊を火難から救い、 わが国の平和を守られた秋葉大権現を祀られたのが「秋葉社」の始まりだそうです。「火伏の札」は火の神様である秋葉大権現のご利益の込められた札で台所など火を使う部屋に貼られます。

牛の尻とかに貼るものではありませんね。
「天角地眼一黒直頭耳小歯違」これは浄瑠璃「菅原伝授手習鑑~四段目・筑紫配所の段」で菅原道真公の愛用の牛を家来の白太夫が称賛する件で用いられてますね。この場は人形浄瑠璃では何回か演じられてますが、歌舞伎ではあまり演じられないのですがね。

まだ寒い日が続きます。
「身体」と「火の用心」に気を付けて過ごしましょう。



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