足腰丈夫だった?江戸の蕎麦喰い。

落語

地域によっては積雪のニュースを聞くぐらい寒い季節になってきました。 暖かいものを食べる噺を。

「時そば」

                                               

「そーばーうーう、うー」 

 「おー、蕎麦やさん!」                                  「へい。」
「何が出来るんだい」
「出来ますものは花巻に、しっぽくでございます」
「しっぽく 熱くしてくれ。寒いなァ。」「お寒うございますなァ。」
「 どうだ景気は?」                                     「悪うございますなァ。」                                   「そいつァ結構だ。」                                  「け、景気が悪いんですが?」                                「悪い時は喜ぶんだ。良い後は気をつけるんだよ。悪い後良い。必ず良くなるんだ。悪いからと言って商売に飽きちゃいけませんよ。必ず商売は飽きちゃいけねえ。『飽きねえ(商い)』ってぐれえだからな。」                                          「こりゃ、どうも恐れ入ります。」
「おめえんとこの行灯、的が描いてあるな。的がな。矢が当たってるな。」  

 「手前は 『当たり屋』と申しますんで。」
「ははあ『当たり屋』か。成程。こいつは縁起がいいや。『当たりや』なんざありがてえ。俺はこれから無尽に行くんだ。『当たり屋』は結構だな。おめえの行燈 見たら必ず一杯は喰うからな。」
「ありがとう存じます。どうぞよろしくお願い申しますんで。へいお待ちどうさま。」
「おっ、もう出来たか。喰い物はこう行きてえもんだ。あつらえる途端にお待ちどうさまとくりゃあ待たずに済まァ。そりゃあな、長くかからなくちゃならねえ食い物もあるよ。催促しちゃ野暮なものがあるが、蕎麦なんざァ早いほうがいいなァ。誂えて出来ねえ、催促して出来ねえ、まだ出来ねえ,できてくる時分には喰う気がしなくなちまわあな。うめえもんでもまずくなっちまうってやつだ。誂える途端に『お待ちどおさま』とこう行きたいよ。俺は江戸っ子だ気が短いんだからなァ。           お、おめえ割り箸を使ってら、えらいなァ。綺麗ごとでいいねェ。喰い物は綺麗ごとでなくちゃいけねェや、割り箸を使っているのはえれえぞ。いい丼を使っているな、おめえは。この界隈に蕎麦屋二、三軒あるけどな、おめえだけの丼使っている蕎麦屋ははねえぞ。
物は器で食わせるてえが全くだ。中身は二番でも丼が綺麗だと美味く喰えるてえやつだ。いい丼を使っているな。いい匂いだ、この何とも言えねえや、この蕎麦の匂いが。はっはあ。ありがてえや、どうもその(汁をすする)いい汁加減だ。

おめえは醤油(したじ)をいいのを使ってるな。
出汁を奢ったァ。鰹節がうんと入ってら。何とも言えねえやこの汁の加減が。
蕎麦は細いしもう言うとこはないよ。
俺はわざわざ遠くまで細い蕎麦ァ喰いに行くんだ。
ほんといい蕎麦だな。

ぽきぽきしてやがら。こんなしっかりした蕎麦俺ァ食ったことがねえや。実際その、竹輪を良くこう厚く切ったなァ。てえげえ、薄っぺらな紙みてえな竹輪が入ってるんだが、うめえわけだ。おめえは本物の竹輪を使ってるえれえなあ。
てえげえ、ちくわぶと言って麩を使っているんだ。
麩はいけないよ、ありゃあ病人が喰うもんだ。(熱々の竹輪を食べる)
何とも言えねえや(美味そうに蕎麦すする)
ごちそうさん。あーもういっぺぇといきてぇとこなんだけどよ。
他所で一杯喰っちまった。いっぱいで勘弁しておくれぃ」
「ようござんすよ」
「いくらだい?」
「16文にでございます。」
「そうかい!銭こまけぇんだがな。」                             「なんでも結構でございます。」

「間違うといけねえから手ぇ出せ。」
「へぇ、ではこれに願います。」
「16文だな?ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻だい?」
「九つで。」
「とぉ、十一、十二、十三、十四、十五、十六。」                        勘定払ってつうーっと行ってしまう。


その様子を影からじーっと見ていたのが、日当たりの悪いところでぼーっと育った
江戸っ子でな。

「よくしゃべりやがったなあ。最初から終いまで蕎麦屋のこと 褒めてばかりだ。
んなもん、蕎麦なんてのは 昔からねぇ
(中略)
あんまり褒めるもんだから、食い逃げじゃねえかと思ったよ。食い逃げなら、蕎麦屋に義理はねえが、ふんづかまえて張り倒してやろうか思ったが、勘定払って行ったから、尚気に食わねえな。銭払えば客なんだから当たり前に喰えばいいじゃねえか。やな野郎だな。いくらだ?って聞いてやがんの。
ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー
何刻でぇ?
九つで。
とぉ ?変なところで刻を聞きやがったな?(中略) ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻だい?九つで、とぉ?何か勘定が合わねえな。                          ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー。                       何刻だい?
九つで。
とぉ ー。
おっ1文かすりやがったな。 (中略) ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー
なな、やー何刻だい? 九つで、とお、上手いねえ。ようし、俺もやってやろう。」
その晩は細かい銭の持ち合わせがありません
あくる晩、細かいのを用意しますと蕎麦屋が来るのを待っておりますんで。

「そーばーうーう、うー」                                   「おーい、蕎麦屋さん」                                   「へい。」                                         「何が 出来るんだい?」                                   「出来ますものは、花巻に卓袱でございますんで。」                       「卓袱熱くしてくれ。」                                   「ありがとう存じます。」                                 「寒いなァ。」                                      「いえ、今夜は暖かで。」                                  「あ、そうだ、今夜は暖けえ。昨夜だったな、寒かったのは。」                 「昨夜は寒うございましたな。」                               「景気はどうだい?」                                     「おかげさまでお得意がございますんで、上景気でございますんで。」              「ああ、景気が良いのかい?そりゃいいや。しかし景気の良い時は気をつけなくちゃいけねぇよ。悪い時は喜ぶんだ。悪くても商売は飽きちゃいけませんよ。必ず商売は飽きちゃいけない。」       「へぇ、商いてぇますからなァ。」                              「なんだ、知ってんのか。おめえんとこの行灯、的に矢が・・・・当たって。丸にるんじゃねえな。字が書いてあるんだな、おめえんとこのは。」                         「『孫兵衛』と申しますんでな。」

「丸に『孫』かい?マル孫してやがんだな。まあいいや。おめえンとこの行灯見たら必ず一杯は喰うよ。」                                          「ありがとう存じます。今後よろしくお願いいたします。」                                                                                                                                                                                                                                                 「そうだとも喰い物はこう行きてえや。誂える途端にお待ち同様とくりゃ待たずに済むてえ奴だ、まだできねえやな。しょうがねえや、ゆっくり拵えろよ。俺ァ江戸っ子だ気が長えんだからな、本当に・・・・・もう出来てもいいなあ。ずいぶん長えなあ。」                   「どうもあいすいません。ただいまお湯をさましたもんですからな。へい、お待ち同様で。」    「おめえは偉いよ。。割り箸を使っているなざあ偉いや、なあ、誰が使った箸だかわからねえなんてのは心持が悪いや。なあ割り箸が・・・・割ってあら、こらな。このほうがいいんだ割る世話がなくてな。先が濡れてやがら、こう拭いちまえばいいんだからよ。しかし、おめえの丼、この界隈でこれだけの丼使っている蕎麦屋はねえぞ。物は器で喰わせるてえが、どうだいこの丼の、き、汚ねえなァ、こら。汚え丼だな、こら。縁が欠けてやがら、唇切るの嫌だから向こうへ回すよ。そらそうだ、丼なんざなんだっていいんだ。こだわるなんてのは間違っているんだ。中身さえ良ければいいんだ、なあ本当だ、どうも。いい匂いだ。お前の汁加減が気に入っちゃった。醤油(したじ)をいいのを使ってやんな、お前は。出汁を奢ったねえ。何とも言えねえや、この・・・・・お湯ゥ少し入れてくれ、お湯。こりゃ辛えんじゃねえや、苦えや。悪い醤油(したじ)だなあ、どうも。蕎麦は太いし、こら驚いたな。しかし、お前は竹輪をね、竹ゥゥ・・・・・竹輪どこに入れてんだい?入ってる?あ、こんなところいやがった。良くこう薄く切ったな、おい、こりゃ。いや薄くったって本物だ。みんな竹輪麩って麩を使ってやがんだ、おめえは本物だ・・・・本物の麩だ、こらな。麩の方がいいんだ俺は病人なんだからなこりゃ、驚いた、どうも本当に。ん・・・・・どうも、ま、まずいな、こりゃ。いくらだ?」 

「えぇお値段は16文でございますんで。」                           「16文?銭は細けえんだぞ。」「ええ、なんでも結構でございます。」             「そうか?間違うといけねえから手を出せ。」                         「えぇ、ではこれに願いますんで。」                                             「十六文だな?ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻だあ?」          「へえ、四つで。」                                     「いつ、むー、なな、やー。」
  

あらすじを載せようと思いましたが、最初にレコードで聴いた六代目・春風亭柳橋師演の調子が耳に残ってまして是非文字で起こしてみたいと思い、マクラと「中略」の部分以外はそのまま拾わせて頂きました。

1726年(亨保11年)の笑話本『軽口初笑』(かるくちはつわらい)の「他人は喰より」が元となっているそうです。主人公が中間であり、そばきりの価格は6文であった。明治時代に、三代目・柳家小さん師が関西の演目「時うどん」(『刻うどん』)を江戸噺として移植しました。以降柳派の落語家が得意とし、戦後は五代目・古今亭志ん生師、六代目・春風亭柳橋師、三代目・桂三木助師、五代目・柳家小さん師、がそれぞれ得意としたようです。                              五代目・志ん生師演は聴いたことはないのですが、五代目・小さん師によると、仕草は雑だったようですね。

多くの落語家が扇子を箸に見立てて仕草をするところをど五代目・志ん生師は手だけで行っていたようです。島耕二監督の映画「銀座カンカン娘」の中で師が落語家役で出演し、「疝気の虫」の稽古をしている場面がありましたが、その時も人差し指と中指を箸に見立てて蕎麦を食べる仕草をしてましたね。「時そば」もそんな風に演じていたのでしょうか。弟子の初代・金原亭馬の助師も同じように演じていたので五代目・小さん師が「ちゃんと(扇子)でやんなきゃ駄目だよ。」と注意したところ「落語はこういう『嘘』があってもよいのでは?」という反論があったそうです。かと思うと、高座で茶を飲む湯呑を丼に見立てる演出もあったようですね。六代目・柳橋師、五代目・小さん師にこの噺を伝えた玉井の可楽こと七代目・三笑亭可楽師、三代目・春風亭柳好師、三代目。桂三木助師がこの演出だったようです。悪演出とは言い切れないかもしれませんがちょっと無理があるように思えますね。

レコードやネットで六代目・柳橋師演、五代目・小さん師演、二代目・桂文朝師演を聴いた他、ナマで四代目・春風亭柳好師演、現・三遊亭小遊三師演、現・五街道雲助師演、を聴きました。四代目・柳好師演はとぼけた味が良かったですね。薄い竹輪麩の向こうに蕎麦屋の顔がぼんやりと見えるとか、縁の欠けた丼を回しながら「蕎麦屋さん、お前今何か言ったかい?『あなたはお茶の心得があります』?」で客席の大爆笑を買ってましたね。またマクラで昔の屋台の二八そばは「夜鷹」がよく食べたので「夜鷹そば」と言っていたが「戦後は主に『パン』を食するようになりまして、で、『パンパン』と言う・・・あんまり当てにはなりません。」が可笑しかったですね。                   現・小遊三師は二番目の蕎麦屋をやや傲慢なキャラに描いて独自のものにしてますが、最初の蕎麦屋の「汁加減」を「ナイスブレンド。」と言ってましtがちょっと違うんじゃないかなって気がしましたね。「ナイスブレンド」というと私は「コーヒー」を連想してしまうもんで。

屋台での食事というと私は屋台の前にベンチが置いてあってそこに座ってカウンターに食器をおいてと思ってしまうのですが、江戸時代の「二八蕎麦」の屋台を絵や写真で見た時は驚きましたね。」「カウンター」「ベンチ」なんてものはまずないのですからね。蕎麦を食べる客は立つかしゃがむかしているんですね。

立って蕎麦を食べるのはまだしもしゃがんで蕎麦を食べるなんて芸当はバランス感覚があまりよろしくない私にはちょっと厳しい芸当ですね。先日NHK大河「べらぼう」で長谷川平蔵(中村隼人)が屋台蕎麦を立って食べている脇で目明しの男がしゃがんで蕎麦を食べているシーンがありましたが、ん~私には無理だなと思いましたね。                                   私が足腰が弱いのか?それとも江戸時代の蕎麦っ喰いが足腰丈夫なのか?

今日の昼は蕎麦屋で、「イカげそ天蕎麦」

驚いたことにその店では

蕎麦殻まくらを売っているのですね。                             蕎麦も蕎麦殻も元は同じであることにはいうまでもありませんですが、まさか蕎麦屋さんで蕎麦殻まくらをつきませんでした売るとは気が付きませんでした。

今回は関東の「時そば」を取り上げましたが関西の「時うどん」も取り上げたいと思います。

 

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