「題だけで笑えそうな噺」

落語

噺を聴く前或いは聴いた後で題名を聴いただけで笑ってしまいそうな落語。次にあげる噺がそうだと私は思います。

                   粗忽の釘

今日は引越し。夫婦は引越しの準備に追われている。女房が大八車に乗せると言ってるのに、亭主は箪笥(たんす)は背負って行くといってきかない。

頑固な上に、粗忽者。言い出したら聞かないのは女房も分かっている。結局、亭主は箪笥を背負って出て行くのだが、仰向けに倒れて起き上がれなくなったり、前に倒れて箪笥の下敷きになったり失敗ばかりしている。

後に出たはずの女房は新居で亭主の帰りを待っている始末。

女房が引越しを終える頃、ようやく亭主のお帰りとなった。

帰ってくるなり、ここまでのいきさつを立ち話する亭主。

「箪笥は重いなぁ。肩がいてぇや。まだ背負ってるみてぇだ」

「そりゃ重いでしょうよ。まだ背負ってるもの」

「馬鹿野郎。早く言いやがれ。あぁ肩いてぇ」

「それよりお前さん。箒(ほうき)をかける所がないんだよ。柱にでも釘を打っておくれよ」

帰って来たばっかりだっていうのに用を頼まれて腹を立てる亭主。ぶつぶつ言いながら釘を打つのだが、あろうことか壁に瓦釘(かわらくぎ)を打ち込んでしまった。

あんなに長い釘を打ったら、お隣に突き出てしまってると怒る女房。亭主はしぶしぶ謝りに出かける事に。

「すいません。引っ越してきた者ですが、壁に瓦釘(約24センチ)を打ち込んでしまいまして、こちらに出ていないかと」

「大丈夫ですよ。うちは向かいだから」

いくら長い釘でも、向いの家までは届かない。女房にもう少し落ち着いてくれと怒られ、今度こそはと隣の家に向かった。

しかし、今度は落ち着きすぎて居間に上がり込んで長話。困った相手が用を訪ねるとようやく釘の話を打ち明けた。

こりゃ大変だと、隣家の主人が壁を見てみると、釘が仏壇をぶち抜き阿弥陀様の頭から釘先が出てるではないか。

「あんたこれを見なさいよこれは酷いじゃないか。困ったなぁ」

あら、こんな所に出て、、、お互い困りましたなぁ」

「なんであんたが困るんだよ」

「だって明日から、ここまで箒をかけにこなきゃいけねぇ」

「そういう問題じゃないでしょう。本当にあきれちまう。あなたは、まァ、そんなにそそっかしくて、よく暮らしていけますなァ。ご家内はおいく人で?」 

「 えェ、あっしにかかァに、七十八になるおやじの三人で・・・・・」              「 へーえ、そうですか? おみかけしたところ、お年寄りはどうも見えませんでしたが・・・・・。」
「あッ、大変だ。じつは、おやじは三年前から中気で寝ておりますが、二階へ寝かしたまま忘れてきちまった。」
「こりゃァ驚いた。どんなにそそっかしいといって、自分の親を忘れで来る人がありますか?」
「 なァに、親をわすれるぐれえはあたりめえでさァ。酒を飲むと、ときどき吾(ワレ)を忘れます。」

原話は1816年(文政13年)の初代都喜京都板『膝栗毛』の中の「田舎も粋」

関西では「宿替え」という演題で初代桂春団治師、二代目・三遊亭百生師、五代目・桂文枝師、二代目・桂枝雀師などが、関東では六代目・春風亭柳橋師、五代目・柳家小さん師が得意としたが、私は十代目・金原亭馬生師、五代目・春風亭柳朝師、八代目・橘家圓蔵師、十代目・柳家小三治師、九代目・春風亭小柳枝師、現・柳家さん喬師を聞きました。

多くの演者は「お宅ではここにかけるのですか。」や「ここまで箒をかけにこなきゃいけねぇ。」でサゲる演者が多いのですが、七代目・立川談志師が「みんな何故ああいういいサゲ(『我を忘れます』)まで演らないのか。」と言っていたのを聞いたことがあります。

「粗忽」なのは「釘」ではなくて、「打った人物」なはずなのですがね。まるで「打たれて」隣に突き抜けた「釘」が「粗忽」みたいな題のつけ方ですね。

「題」だけで笑えそうな噺は他にもありますが、また次回取り上げたいと思います。

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