昨年は王子飛鳥山の桜を取り上げさせて頂きましたが、今年は是非、向島の桜をと思い3月29日、この日は仕事明けでもありましたので寄り道感覚で「向島百花園」「隅田公園」と花見に出かけました。
向島の花見と言えば前々回あげた「おせつ徳三郎・花見小僧」の背景でもありますが、もう一つ忘れてならないのが以下の噺ですね。
百年目
ある大店の一番番頭、治兵衛。
四十三だが、まだ独り身で店に居付き。
店では、六代目・三遊亭圓生師の言葉を借りるなら、まるで小言の機械のように、店の奉公人を叱り飛ばしている。

紙縒りをよる仕事を碌々こなさずに紙縒りで鹿をこしらえたり、鼻の孔に二本の火箸を差し込んで首を振ってチリンチリン鳴らして遊んでいる小僧、お得意様への手紙を書いて小僧の手が塞がっているからと引き出しにしまったなりの手代、また店先で本を読んでいる手代、陰でこっそり清元の稽古をしている手代に悉く小言が飛ぶ。 また治兵衛この年まで遊び一つしたことがない堅物で通っている。 それ故に数日前の晩にお得意様の付き合いで茶屋遊びで午前さま(御前さまの洒落)になった二番番頭に対しても小言。 「芸者という紗は何月に着るのか、タイコモチという餠は煮て食うか焼いて食うか、教えてほしい」と言う皮肉を浴びせる。 そして「番町のお得意先をまわってくる」言って、番頭は外出する。
外で待っていたのは、幇間の一八。

今日は、こっそり入りびたっている柳橋の芸者、幇間連中を引き連れて、向島へ花見に繰り出そうという趣向。

菓子舗の二階で、とっておきの、大津絵を染めだした長襦袢、結城縮みの着物と羽織に着替え、屋形船を出す。 ところが、治兵衛は小心だ。
すれ違う舟から顔をのぞかれるとまずいので、ぴったり障子を締め切らせていたほど。

向島に着いた。
酒が入って大胆になる。
扇子を首に縛りつけて顔を隠し、長襦袢一枚に。
桜が満開の向島土手で、陽気に騒ぐ、一番番頭の治兵衛。

一方、こちらは大店のだんな。
おたいこ医者・玄伯をお供に、これまた花見にやってきている。

玄伯老が冶兵衛を認めた。
「あれはお宅の番頭さんでは」
そう言っても、だんなは平然としている。
「悪堅い番頭に、あんな派手なまねはできない」
まったく取り合わない。
そのうち、ひょんなはずみで二人は土手の上で鉢合わせ。

避けようとするだんなに、冶兵衛は芸者と勘違いしてむしゃぶりつき、はずみでばったり顔が合った。
いちばんこわい相手に現場を見られて、冶兵衛は動転。
「お、お久しぶりでございます。ごぶさたを申し上げております。いつもお変わりなく……」
酔いもいっぺんで醒めた冶兵衛。

逃げるように店に戻ると、風邪をひいたと寝込んでしまう。
あんな醜態をだんなに見られたからにはクビは確実だ、と頭を抱えた冶兵衛。
いっそ夜逃げしようかと、一晩悶々として、翌朝、帳場に座っても、生きた心地がない。

そこへ、旦那のお呼び。
「そら、おいでなすった」と、びくびくして母屋の敷居をまたぐ治兵衛。
意外にも、旦那は昨日のことはおくびにも出さず、天竺(インド)の栴檀の大木と南縁草という雑草の
話を始める。

栴檀は南縁草を肥やしにして生き、天南草は栴檀の下ろす露で繁殖する。
持ちつ持たれつで、家ではあたし、店ではおまえさんが栴檀で、若い者が南縁草。
天南草が枯れれば栴檀のおまえも枯れ、あたしも同じだから、厳しいのはいいが、もう少しゆとりを持
ってやりなさいと、やんわりさとす。
「ところで、昨日は面白そうだったな」
いよいよきた。冶兵衛、取引先のお供でなどとしどろもどろの言いわけを。
旦那は少しも怒らない。
「金を使うときは、商いの切っ先が鈍るから、決して先方に使い負けてくれるな」
旦那はきっぱり。
「実は、帳簿に穴が空いているのではと気になり、密かに調べたが、これぽっちも間違いはなかった」
旦那は冶兵衛を褒めた。
「自分で儲けて、自分が使う。おまえさんは器量人だ。約束通り来年はおまえさんに店を持ってもらう。」
そう言ってくれたので、冶兵衛は感激して泣き出す。

「それにしても、昨日『お久しぶりでございます』と言ったが、一つ家にいながらごぶさたてえのも……。なぜあんなことを言ったんだい」
旦那は不思議そう。
「へえ、堅いと思われていましたのをあんなざまでお目にかかり、もう、これが百年目と思いました」
原話は並木正三の『軽口東方朔』第1巻(宝暦12年・1762年)収録の「手代の当惑」。ただし大阪学芸大学教授前田勇先生の『上方落語の歴史』は、現行版はこれを直接改作したものではなく、『軽口片微笑』第1巻(明和7年・1770年)収録の「うろたへても機転」の改作と思われるとしています。共立女子短期大学教授武藤禎夫先生は、安永年間の江戸小咄集にも同様の話が掲載されているとし、「現行の落語のようなふくらみを持つまでには、数多くの噺家の手が加わったものだろう」と推測している。
劇作家の故・榎本滋民先生が生前「『百年目』と言う噺は東西をかなり行ったり来たりしているといった旨のことをTBSテレビ「落語特選会」の解説で話していたのを覚えてます。
「ここで会うたが『百年目』」というセリフは現代は時代劇などでも聞くかどうかですね。
演者としてはこの複雑な性格の主人公の番頭を描くのは難しいようですね。 かなり以前、「てなもんや三度笠」でも有名な故・香川登志緒先生が三代目・桂米朝師について記す中で、「米朝が四十歳を越えた頃からこの複雑な番頭の人間像が浮かび上がるようになった。」と述べてました。 ところが香川先生の言葉を借りるなら「この先に旦那が天竺の故事を用いて番頭に訓戒を与えるという胸突き八丁峠が待っているのである。はっきり言って米朝が五十歳を越えた現在もこの旦那を完全に表現するに至ってない。」と言うのです。 この文を私が読んだのは昭和54年頃。 三代目・米朝師が五十歳代半ばの頃でだったのですが。香川先生がそれまで聞いた「百年目」の旦那で「これだ。」と思えるのは二代目・林家染丸師と五代目・笑福亭松鶴師しかなかったようです。 「やがて米朝が三人目になってくれるだろう。」と続けてはいたのですが。 二代目・染丸師、五代目・松鶴師の「百年目」を聴こうなんて「タイムマシン」なんてものが世に実在しない限り無理な話でしょう。私はこの文を読んだ翌年ぐらいに「NHK東京落語会」でナマで六代目・圓生師演を聴いた時「この噺の中の旦那はこんな感じだろうな。」と思いました。 旦那自身の言葉を借りるなら「若い時は散々道楽をして危うく勘当されかけた。」という経験もしながらも、天竺の故事を例えに出すだけのインテリジェンスを持っている。 「酸い」も「甘い」も嚙み分けていること他人の何十倍と言っても良いぐらい。そんな人柄が自然な感じに表現しなくてはならないわけですから並大抵ではないでしょうね。
私は六代目・三遊亭圓生師演をナマで聴いた後、五代目・古今亭志ん生師演、十代目・金原亭馬生師演、二代目・三遊亭金翁師演、三代目・古今亭志ん朝師演をラジオやCDで。関西版を三代目·林家染丸師演、三代目・桂米朝師演、二代目・桂小南師演、五代目・桂文枝師演、六代目・笑福亭松喬師演、現·桂福團治師演で聴きました。最初に聴いた六代目・圓生師演が一番インパクトが深いですね。
旦那の噺の中に出てくる栴檀は原産地はヒマラヤ山麓だそうですが順応性の高い種で、中国・台湾・朝鮮南部および日本などの乾燥した熱帯から温帯域に分布する。日本では本州(伊豆半島以西)、伊豆諸島、四国、九州、沖縄に分布するそうです。

栴檀は初夏(5 – 6月頃)に淡紫色の5弁の花を多数、円錐状につけます。

噺の背景になっている向島の桜はどんなのかなと思い、3月29日に見に行きました。
最初に向島百花園に行ったのですが、3月末の時点ではまだこれからかなという感じでしたね。
その後で、隅田公園を見て墨堤通りを長命寺のあたりまで歩きました。
咲き具合は下記の写真の通りでした。
4月第1週がピークかなと思いました。



「おせつ徳三郎・上(花見小僧)」でもネタになった長命寺の桜餅。

スーパーなどで売っているものに比べると何か素朴な色と味わいがあるように思えます。
墨堤通りに咲く花を目当てにしていると思われる、船の行き来もかなり見受けられました。

中で歌っているらしいカラオケの音まで聞こえてくる船もありました。
噺の中の番頭治兵衛さんと同じぐらい経費かけているのかな?
「番頭」である治兵衛さんが「自分で儲けて自分で使う。」のを旦那は「器量人」だと褒める件があります。奉公人である番頭がどうやって自分で儲けるのかな?なんて最初に聴いた時は思いましたが、六代目・圓生師が「圓生百席(圓生古典落語)の解説で「『利殖』で儲けていたのでは。そのために店の金を一時的にこっちへということもやったのでは。」といった旨のことを語ってました。 その当時はやはり「米相場」ですかね。 「ざこ八」の主人公のように「上がったとこでポイッと売りますと、だっだっだっだっダ~ッと下がる。下がったとこで買うと、だっだっだっだっダ~ッと上がる。また売る。三百円のお金が六百円、六百円が千二百円、千二百円が二千四百円、二千四百円が四千八百円。」なんて間の良い想いを治兵衛さんもしたのかも知れない。」
実は私も最近、資産運用でちょっと良い想いをしました。もう数十倍いい想いが出来たら治兵衛さんみたいな遊びをしてみたい気もします。
4月の第一週にも向島の桜を見に行こうと思ったのですが、仕事だったり、悪天候だったりで。
王子 飛鳥山の桜は去年見に行ったときはだいぶ散り始めた頃でした。今年は4月第1週に無理やり都合つけて見に行きました。

ちょうど満開の時でした。



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