年末の希望・悲劇・幸運

落語

2025年(令和7年)も後一ケ月足らずとなりました。                      師走のネタも選択に迷うほど色々ありますが、今回は私的にも思入れの深い噺を取り上げたいとおもいます。 

     富 久  あらすじ

ある年の暮れ。浅草阿倍川町(あるいは浅草三間町、日本橋竃河岸、日本橋按針町とも)の長屋に住む幇間の久蔵は、酒の上での失敗で江戸じゅうの顧客をしくじり、仕事を失ってしまっている。

そんな中、大家(あるいは友人)が一枚の富くじの札を持ってやって来る。

「一番富(=1等)に当たれば千両、二番富でも五百両になる」とそそのかされ、その気になった久蔵は、なけなしの一分でその「松の百十番(鶴の千五百番など、演者によって異なる)」の札を買い、神棚に供えた。

「大神宮様、大神宮様。二番富で結構ですから、どうか私めに福を……。もし当たったら堅気になって、売りに出ている小間物屋の店を買い、日ごろから岡惚れしているお松さんを嫁にもらって、店の主になるんだ神様・・・・・・。

その日の夜、日本橋横山町(あるいは日本橋石町=日本橋石町、芝の金杉、芝の久保町=桜田久保町とも)あたりから火事が出て、半鐘の音が町に鳴り響く。長屋の住人は「たしか、久蔵がしくじった『田丸屋(あるいは越後屋とも)』の旦那が、あの辺じゃないか? 見舞いに行かせればしくじりが治る」と気を利かせて、眠っていた久蔵を起こす。話を聞いた久蔵は、喜び勇んで長屋を駆け出す。

久蔵が商店に駆けつけてみると、彼の期待通り主人は喜ぶ。商品の避難を手伝ううち、主人は店への出入りを許したので、久蔵は大喜びする。

火事は店まで延焼せずに鎮火した。久蔵は、店に来る見舞い客の応対と、帳面への客の名の記入を担当する。客から酒が届き、久蔵は主人にその酒をねだり、飲むことを許される。久蔵は応対をしながらだんだん泥酔していく。

久蔵が寝入っていると、ふたたび火事を告げる半鐘が鳴り響く。「今度はどこだ?」「浅草の鳥越あたりかな?」「久蔵の家のほうじゃないか」店員があわてて久蔵を起こし、提灯を持たせて帰す。久蔵が戻ると、長屋は跡形もなく灰になっていた。「とんだ火事の掛け持ちになっちまった……」

久蔵はしかたなく店に引き返す。久蔵に同情した主人は、彼を居候に置くことを許し、彼のための奉加帳(=カンパを募るためのリスト)を作って与える。

翌日(あるいは数日後)、久蔵が湯島天神の前を通りかかると、

ちょうど富くじの抽選会の最中だった。久蔵は「松の百十番」を買っていたことを思い出し、千両の当たり番号を聞いてみると「松の百十番」。「アターッ!? タータッタタッタッタッ!!」

ただちに賞金をもらうと二割引かれるルールであったが、久蔵は「八百両あれば御の字だ」と、係員に掛け合う。「札をお出し」「札は……焼けちまって、ないッ」当たり札がなければ換金できないと言われ、泣く泣く帰る道すがらに、近所の顔なじみである鳶頭(かしら)と鉢合わせする。

「なかなか帰ってこないんで、心配してたんだ。布団と釜は出しといてやったから安心しろ。それと、大神宮様のお宮(=神棚)もな」「大神宮様のお宮が、ある? ……ど、泥棒! 大神宮様を出せッ!!」久蔵は鳶頭に半狂乱でつかみかかる。目を白黒させた鳶頭は、久蔵に神棚を渡す。久蔵は神棚から富くじの当たり札を探し出し、強く安堵する。

「なるほど、千両富の当たり札とは、狂うのも無理はねえな。運のいい奴だ。おまえが正直者だから、神様が優しくしてくれたんだ」

「これも大神宮様のおかげです。これで方々に『おはらい』ができます」

初代・三遊亭圓朝師が実話から落語化したものと伝えられている(ただし明確に圓朝の作とは記されていない)。                                         『桂文楽全集』の作品解説は「江戸の頃から伝わっていた短い噺を、円朝(原文ママ)が肉付けしたものであろう」と記しているそうです。                             初代・圓朝師からは初代・三遊亭圓左師・三代目・三遊亭圓馬師と伝わり、そこから八代目・桂文楽師へと伝えられたそうです。                                 『桂文楽全集』の作品解説は、「文楽十八番中でも、最大級の大物といってよい」と評されているようです。

 私が最初に聞いたのは十代目・金原亭馬生師演でした。                    NHKテレビ「ビッグ・ショー」ででした。聴いた当初は「幇間」という仕事についてよく知らなかったので、「久蔵って何者なのだろう?」と思いましたが、「恩人の近所の火事騒ぎの見舞いに行っている間に自分の家がもらい火で焼失してしまうなんて何て悲運な男なのだろう。」と思いましたね。大当たりが確認できたものの、肝心の富くじの札が無くてがっかりする件、焼失したとばかり思っていた札が無事に運びだされた大神宮様の中から見つかって泣いて喜ぶ件は共感持てましたね。

その後、ラジオで八代目・桂文楽師演、九代目・入船亭扇橋師演を聴き、ナマで十代目・馬生師演、七代目・立川談志師演を聴き、CDでは八代目・三笑亭可楽師演、三代目・古今亭志ん朝師演、十代目・柳家小三治師演を聴いてますが、五代目・古今亭志ん生師演は「志ん生長屋ばなし」で読んだだけなのですが師らしいドラマティックな噺の進め方だなと思いましたね。火事見舞いに行き、元通り出入りのかなった先で酔いつぶれてしまう久蔵。そんな久蔵を見ながら鳶頭「旦那、久蔵は今日嬉しそうでござんしたね。」というセリフにも師らしい深みを感じました。                     八代目・文楽師演もラジオ放送を録音したのを何べんも繰り返し聴きましたね。私が落語好きになったのは師が他界して四年経ってからだったこともあり、実際高座ではどんな感じで演じていたのかなと思いました。ですから、TBSテレビ「落語特選会」で八代目・文楽師の「富久」が放映されると新聞で見た時は、これは見逃せないという思いが強かったですね。実際視て、師の折り目正しい「いっぱいのお運びを頂きましてありがたく御礼を申し上げます。」の語り出しにも格式の高さを感じましたし、悲運と幸運に繰り返し見舞われる主人公のドラマには最後まで引き付けられました。その後TBSテレビで何べんか八代目・文楽師の生前の「落語研究会」での高座の動画が放映されましたが、「つるつる」「鰻の幇間」「かんしゃく」「明烏」などの高座の動画を視て初めて師の素晴らしさを知りました。

富くじの歴史について調べてみると世界最初の富くじは、中国で漢の張良が万里の長城建設のための債を集めるために行ったものとされているようです。                          古代ローマでも建設費調達のためにユリウス・カエサルが利用していたようです。日本の富くじの発祥は摂津・箕面の瀧安寺といわれている。江戸時代には公儀の許可を得た寺社がのた勧進めに富籤を発売したが、1842年(天保13年)の天保の改革により全面禁止されました。

明治になり太政官布告により富興行は一律禁止となりました。しかし、民間では違法な闇富くじが広く行われていたようですね。

1900年5月に出された内務省令の「富籤類似其他取締ノ件」(後に廃止)では、「富籤類似行為」に関しての取締りも厳しくなりました。

1937年(昭和12年)9月、臨時資金調整法が施行され福券などのいわゆる戦時債券が発行されたが、売れ行きは不振で発券事務の簡素化も必要とされており、国による富くじ発行の機運が高まりました。

第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)4月に臨時資金調整法は改正され、同年7月16日に政府くじ「勝札」が発売されました(額面は10円で1等は10万円)。 物資不足のため、副賞の賞品(タバコやカナキン(純綿のキャラコ))がもてはやされたが、抽せん前に敗戦したため、「負札」と揶揄されたそうです。

現代でも当せん金付証票法に基づく「宝くじ」のように法令による行為(刑法5条)として特例的に認められているものもあるようですがね。

1948年に施行された当せん金付証票法により、地方公共団体による宝くじの発売が認められました。

宝くじ売り場に行くと「ドリームジャンボ」だけでも数十年前に比べると「グリーンジャンボ」「ハロウィンジャンボ」「バレンタインジャンボ」等かなり種類が増えてますね。その他「ロト6」、「ロト7」、「ナンバーズ」等選択に迷うくらいありますね。

私も「富久」の久蔵さんや「宿屋の富」「御慶」の主人公ような幸運に恵まれないもんかなと思い良く購入します。

移動採血車に「宝くじ号」と記されていたり、東京都恩賜上野動物園のトラの檻で下記のようなマークがあるのを見ると少しは世の役に立っているのかなという気になるのですがね。でも一種のギャンブルみたいなものですから、ほどほどにしたいものですな。

今年も残すところわずかになりました。

年内にまた新たな記事が書けるかな。

皆様、御御身体大事にしてください。

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