前回取り上げた二八そばの屋台は明治時代になると廃れていったようですね。 代わりに「鍋焼きうどん」の屋台が出回るようになったそうです。
そんな時代が背景と思われる噺を今回は取り上げたいと思います。
「うどん屋」(うどんや)
ある寒い夜、屋台の鍋焼きうどん屋が流している。

酔っ払いが鼻歌交じりに千鳥足で屋台にしがみついてきた。湯を沸かす火にあたりながら、酔っ払いの長口上が始まった。「おめぇ、世間をいろいろ歩いてると付き合いも長ぇだろう。仕立屋の太兵衛ってのを知ってるか」、「いえ、存じません」。
「太兵衛は付き合いがよく、仕事は良く出来る。一人娘のミイ坊は歳は十八でべっぴんで、今夜婿を取り、祝いに呼ばれると『おじさん、叔父さん』と上座に座らされて、茶が出たが変な匂いがすると思うと桜湯だったが、飲めねえよなあんな物。襖が開くと娘とお袋が立っていた。娘は立派な衣装を着て、頭に白い布を巻いて、胸元にはキラキラする物を入れて、金が掛かっているだろうな。正座して『おじさん、さてこの度は・・・』と挨拶して、この度はなんて、よっぽど学問があるか綱渡りの口上じゃなくちゃぁ言えねぇ。『いろいろお世話になり・・・』ときたね。小さいころから知っていて、おんぶしてお守りしてやって、青っぱなを垂らしてピイピイ泣いていたのが、立派な挨拶が出来るようになった。あぁ、目出てぇなぁ、うどん屋」、「さいでござんすな」。ぶっきらぼうな受け答えが気に入らないからと、クダをまいて、炭を足させた。
またまた「太兵衛は・・・」が始まったが、先程聞いていたので、相づちは上手かった。酔っ払いも気持ちよくなって「どこか飲みに行こう」。
「水をくれ」というから、「へい、オシヤです」と出せば、「水に流してというのを、オシヤに流してって言うか、水掛け論をオシヤ掛け論というか、間抜けめ」とからんだ。「酔い覚めの水値が千両と決まり」、水はただだと聞いて、水ばかりガブガブ飲むから、うどん屋はタイミングを見て商売にかかると、「おれはうどんは嫌ぇだ」、「雑煮もあります」、「酒飲みに餅を勧める頓知気があるか、バカ」。気を取り直して呼び声を上げたら、今度は女が呼び止めて、
「今、子供が寝たばかりだから静かにしとくれょ」。どうも今日はさんざんだと表通りに出ると、大店の木戸が開いて「うどんやさん」とかすれた細い声。奥にないしょで奉公人がうどんの一杯も食べて暖まろうと、いうことかとうれしくなり、押さえた小声で「へい、おいくつで」、「一つ」。ことによるとこれは斥候で、美味ければ交代で食べに来るかもしれない、「どうぞ」と出来上がったドンブリを出した。 美味しそうににうどんをすする客。
食べ終えて勘定を置いて、しわがれ声で、「うどん屋さん。」うどんやは小声で「へ~ぃ。」
「お前さんも風邪をひいたのかい。」
原話は1773(安永2)年『近目貫』の「小声」だそうです。娘が小声で「松茸売り」を呼ぶ。 「松茸売り」は内緒で松茸を飼うのだろうと小声で応対する。 娘は「そなたも風邪を引いたかいのう。」
「松茸」は昔も今も男性の一物に見立てられることが多いようですから、そこに松茸売りが気を使って小声で応じたところ・・・・・の話のようですね。
落語「うどんや」は外を流して歩く行商人は「小声」で呼ばれると大儲けすることがよくあったということからきているようですね。 鉄砲笊を持って不用品を買い集めて歩く屑屋さんも小声で呼ばれ、小声でうまく応じる大きな儲けを得ることがあったようで。 内緒で所帯終いをしようという家などは世間を憚るので家財道を売り払うのに屑屋さんを呼ぶのにも小声になる。慣れた屑屋さんはそういうところへ対して小声でうまく応じていたようで。 また先述の屋台を担いで歩く二八そばや小声で呼ばれると大きな儲けを得ることがあったそうで。 大勢で博打を売っていて寒くて腹も空いたので温かい蕎麦でも食べようということになった時、やはり世間を憚って悪さをしている連中ですから小声で「お~い、そばやさん。」と呼びかける。 「いくつできるんだ?そうか、俺が一つずつ運ぶからどんどん拵えてくれ。」と蕎麦が総仕舞いになることがあったそうですね。 また大店で大勢の奉公人が寒いから温かいものでも食べて寝ようという時はやはり主人に内緒ですから小声で呼ばれる。おかわりをする者がいたりするとやはり総仕舞いになることがあったそうで。 小声で呼ばれた先に対して小声で応じると大儲け出来ることが多かった。

五代目・柳家小さん師、十代目・柳家小三治師はそのことをマクラで振って噺に入ってましたね。
関西では「風邪うどん」という演題で演じられていた噺を三代目・柳家小さん師が関東に移したそうです。三代目・小さん師演の音源がCDで市販されたのを聴きましたがが元が常磐津語りだっただけあって「な~べや~きうど~ん。」の売り声は高らかで聴いてて惚れ惚れするようでしたね。
私は二代目・春風亭華柳師が二ツ目橋之助時代に「NHK新人落語コンクール」で演じていたのを聞いたのが最初でした。師はこの口座で優秀新人賞に輝いてました。 その後、ラジオやテレビで八代目・三笑亭可楽師演、五代目・柳家小さん師演、十代目・金原亭馬生師演、十代目・柳家小三治師演を聴きました。 十代目・馬生師演は「東横落語会」でナマで聴いたこともあります。
酔っ払いが絡む件では、唐辛子を山のようにかけてしまったうどんを無理に啜って四苦八苦する演出を多くの演者が行い笑いを取ってますが、八代目・可楽師、五代目・小さん師、十代目・小三治師はこの演出は行いませんでしたね。あったらあったで面白いとは思いますが、私は最近は鍋焼きうどんを美味しそうに食べる演出だけで十分のような気がします。
インターネットで「鍋焼きうどん」のイラストなどを検索すると下記のように、店で注文したら1000円くらいとられそうなうどんの画像が出てきますけど、明治時代の屋台の「鍋焼きうどん」はもっと質素だったでしょうね。 五代目・小さん師によると土鍋も今戸焼の薄手のものを使っていたようですね。

師走に入り日々寒さが募ります。 身体に気を付けましょう。



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