今回は「芋俵」「千両みかん」のオチについて考えてみましょう
まずは「芋俵」から。
「芋俵」あらすじ
二人の泥棒が大店に泥棒に入る相談。

「芋俵を使って泥棒に入ろう。芋の代わりに人を入れて、その店へかついでいくんだ。」「ほう。」「で、何か忘れ物でもしたとか言って『少々、ご面倒様ですが、この芋俵預かっちゃあくれませんか。後で取りに参りますんで。』とかいうんだよ。」「それで」「そうして、わざと芋俵を家に置いておく。夜になってもまさか外に置いとくわけにもいかねえ。家の中にしまう。みんなが寝入った頃を見はらかって、俵から出てきた奴が閂をはずして、おいらが入るって寸法さ。どうでえ。」「うめえこと考えやがったなあ。だが、それじゃあ、俵に入るのがいるなあ。」 そこで、二人は与太郎を仲間に引き入れ、俵の中に入れてしまう。

計画通りに俵を家の中に入れたまではよかったが、店の小僧が、俵を逆さまに置いてしまう。与太郎「逆さまだあ。動けねえ。」その内に夜が来て店がしまう。そこへさっきの小僧と下女が「晩飯食べそこねてて腹がすいちゃったねえ。」「昼間預かっていた芋俵がある。」「一つや二つ食べたってかまやしねえだろう。」と、俵の中に手を入れてきた。「何だか生温かいねえ。焼き芋かもしれねえ。」「何だか柔らかいよ。腐ってるんじゃないだろうねえ。」女中と小僧があちこち触りまくる。与太郎はくすぐったいのを と我慢しようと力んだはずみに放屁。 「ああ、気の早いお芋だ。」
「芋俵」についても、興津要先生の 「古典落語 講談社文庫」で読んだのが最初でしたがちょっとわかりづらかったですね。
後の解説で「『気の早いお芋だ。もうおならになった。』と演る演者がいるがそれはよくない。」と記してあるのを読んで理解できた有様でして。
私が聴いた限りで五代目・柳家小さん師、四代目・三遊亭圓彌師、九代目・春風亭小柳枝師は「気の早いお芋だ。」だけでサゲてましたね。
日本人は「芋を食べる。」→「放屁する。」という認識が強いですからね。
そのくらい連想して当たり前という前提で出来ているオチなのでしょうね。
かと言って「もうおならになった。」と言う演者がいても私的には否定する気にはなりませんけどね。
「気の早い~。」だけで後を連想させる余韻も捨て難いです。
四代目・柳家小さん師が「気の早い~。」だけでサゲた時は高座を降りてしばらくして観客が笑いの渦になったそうですね。
「千両みかん」は比較的分かりやすい「考え落ち」ではないでしょうか。
「千両みかん」あらすじ
夏の暑い盛り、さる大店の若旦那は病に苦しんでいた。明日をも知れぬ状況。医者が診察しても原因がわからず、心の病ではないかとの診断。心のつかえや悩みを解決すれば回復すると言うのだが、父親がどんなに息子に問いかけてもこれといった返答がない。幼いころから仲の良かった店の番頭にようやく心を開きその願いは「みかんが食べたい」「え、みかんが食べたい?」あっけに取られた番頭はなんだそんなことならとみかんを用意することを安請け合いすると若旦那は大喜び。

大旦那に話すと「みかんを用意すると約束しただと?お前、今何時の季節だと思っている?」
季節はこの暑い夏の真っ盛り。みかんは冬が旬の食べ物。江戸中どこを探してもあるはずもない。
怒った大旦那は「今更、みかんが入手できなかったと言ったら倅はがっかりして死んでしまうかも知れない。そうしたらお前は主殺し。ハリツケの刑だ。」

真夏にみかんを探し求めて、もはやパニック状態で右往左往。なんとか当たれるところを当たった末、神田の大きな果物問屋にたどり着いた。
その果物問屋は冬場に採ったみかんを貯蔵していた。みかんを求めて山積みになった木箱をどんどん開けるも夏の暑さのために、傷んだり腐ったりしているみかんばかり。最後の一箱の中から奇跡的に無傷のみかんが一個だけ見つかった。
助かった。そう安堵したのはつかの間、果物問屋の主人が恐ろしいことを言う。
「そのみかんは千両です。なんせ腐る前提で最高級のみかんを貯蔵していたんでね。そのくらい払ってもらわないと」
「千両⁉」

あまりの値段にあっけにとられた番頭は自分一人の判断ではなんともできないと、一度店に戻って旦那に報告する。
大旦那はうろたえもせず「息子の命が千両で助かるなら安いこと」と二つ返事。
千両で買ったみかんを番頭は若旦那のところにもっていく。その苦労を知ってか知らずか、若旦那は美味しそうに十房ある内の七房をぺろりと食べた。そして残り三房を両親とお前で食べてくれと番頭に渡した。

番頭はその三房をじっと見つめた。「十房で千両のみかん。つまり三房の値段は三百両。このみかんを売れば三百両手に入る!このままここで奉公してても、三百両なんて金は絶対手に入らない」
番頭はみかん三房を持ってどこかへといなくなってしまった。
「考え落ち」としては比較的わかりやすいのではないでしょうか。
中には「考え落ち」ではなく単なる「間抜け落ち」だと言う方もいるかも
金銭が絡んでくる「考え落ち」というとこんな小噺がありますね。
ある長屋の住人の男が同じ長屋に住む住人の女房と良い仲になり、よろしくやっているところを帰ってきた亭主に見つかり、責められるが三両を払って示談という約束になるo。男は自分の力では三両は才覚できないので、恥を忍んで自分の女房に相談する。 女房「あきれたねえ。同じ長屋で。」男「たった一度のことなんだよ。」女「たった一度で三両?じゃお前さん三両払うことないよ。手ぶらで行っておいで。」男「手ぶらで?」女「手ぶらで行ってさ、これは『差し引き勘定』だからと言って逆に九両もらっておいで。」
この小噺は四代目・三遊亭圓彌師が「紙入れ」のマクラで振ってました。 振ったあとで四代目・圓彌師は「これはごく簡単な計算問題ですから、お分かりにならない方はお宅にお帰りになってからゆっくりと紙に書いて計算して考えてみてください。」と言ってました。 当時、真面目な(?)中学生だった私は計算だけはわかっても何故「差し引き勘定」なのかは理解できませんでした。わかるようになったのはその十年近く後のことでした。
こんな話が出たところで次回は「艶笑噺」と「考え落ち」について考えてみたいと思います。
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