前回、五代目・古今亭今輔師の「お婆さん三代姿」を復活させてくれる落語家さんはいないかしらという話をしました。
今回は「古典落語」として残り得る「新作落語」について私の考え方を記していこうと思います。
六代目・三遊亭圓生師が生前、「古典落語は松の木。見た目は悪いが長く生きる。対して新作落語は草花。見た目は良いが二〜三年で枯れる。」と言ってました。新作落語を本分としていた弟子の二代目・三遊亭圓丈師はそれを否定もせず「新作落語はそれで良い。」と言っていたように思います。
果たしてそう言い切れるのでしょうか?
古典も出来た時は新作と言っていたのはどなたか忘れましたが、私的には的を得ていると思います。古典落語として現在も語り継がれている噺は新作として出来てから歴代の多くの落語家によってああでないこうでないと練り上げられ、工夫が加えられるなどして現在まで来ているはずです。
明治時代の新作落語として書かれ、今や古典落語として残っていくのではと私が勝手に思っている噺の一つに「かんしゃく」があります

夏の夕方、ある実業家の大きな屋敷でのこと。旦那は神経質な癇癪持ちで、いつも妻や使用人に口うるさく小言を言っている。今日も帰宅するなり「帽子掛けが曲がっている」「庭に打ち水するのを忘れている」「天井の隅に蜘蛛の巣がある」などと、立て続けに家の者を叱りつける。結婚してまだ日の浅い年の離れた妻は、「辛抱しかねるのでお暇を頂きます」と言い残して実家に帰ってしまう。

妻の実家。話を聞いた妻の父親は「旦那様も会社で疲れているんだろうから、帰ってきて家が片付いていないと気の休まる時がなく、つい小言も出るだろう」と言い、「使用人が大勢いるのだから、うまく仕事を割り振って掃除もや片付けをさせなさい」と助言して娘を嫁ぎ先へと帰す。
翌日、妻は父親の助言に従い、家の者の役割分担を決めて屋敷をきれいに片付ける。帰宅した旦那は帽子掛けや天井などが片付いていることを一つ一つ確かめるが、満足するというよりどこか居心地が悪そうな様子を見せる。やがて旦那は「これでは俺が怒ることができないじゃないか。」
この噺は益田太郎冠者 先生がが 初代三遊亭圓左 のために書き下ろした作品だそうですが、昭和の名人八代目・桂文楽師が売り物の一つにしていました。私生活では恐妻家だった八代目・文楽師はこの噺を演じることで密かに憂さ晴らしをしていたとか。 他に三代目・三遊亭金馬師も演じていたそうですね。 昭和・平成時代に活躍し「重要無形文化財保持者」でもあった十代目・柳家小三治師も良く演じてましたね。短い時間に演じられる軽いネタのように思われるこの噺に独自の間や工夫を加えることでかなりのトリネタに磨き上げたのが十代目・小三治師ではないかと私は思ってます。 「自動車」というものを自家用車として持つことが大家のご主人でないと許されなかった時代の噺とマクラを振って噺に入っていきますが、やはり今後このネタを明治・大正時代が背景の「古典落語」として残していこうという師の姿勢が感じられます。

益田男爵の作った他の落語には「堪忍袋」「宗論」がありますが、これらは既に「古典落語」として 認識されているのではないでしょうか。 「宗論」は角川文庫「古典落語」に十代目・小三治師演が載ってますね。 両方とも舞台が既存の「古典落語」でよく出てくる「長屋」「お店」である分、そう認識されやすいのかも知れませんね。 「かんしゃく」は舞台が当時の企業の社長か取締役の邸宅である分、やはりある時期までは「新作落語」という認識が強いかも知れませんが、十代目・小三治師、現・笑遊師によって「古典落語」として残って行くような気がします。
同じような意味で二代目・三遊亭円歌師が売り物にしていた「呼び出し電話」について考えてみたいと思います。

電話が普及して、固定電話より個人で携帯するようになってしまいました。
この当時は、電話を持っていると呼び出すのが当たり前の時代がありました。
「『先程掛かってきた電話は能病院でベットが空きましたからどうぞ』でしょ。貴方入る?。その前が『村上さんを呼べ』っていうの。その前は『裏のシュウマイ屋を呼べ』っていうの。家の用で掛かってくる事は無いの。呼びに行って帰ってくると、洗濯でしょう。又呼びに行って、洗濯でしょう。その繰り返し」。
「いつ電話が掛かってくるか分からないから、今のうちに食事にしましょう」、「電話が鳴っている。俺が出よう。もしもし、山本ですがな」、「もしもし、菅原を呼んでもらいたいのだが・・・」、「何ぃ?津田沼か」、「五円札の肖像の・・・、1円札が武内宿禰、10円札が・・・、札はどうでも良いので菅原を呼んで欲しいのだ」、「菅原道真を呼ぶのか」、「いえ、前のパン屋・・・」、「パン屋を呼ぶのか?」、「パン屋の先に魚屋があって、そこを曲がって1丁半も行くと仕立て屋の2階に居るんです。居なかったら、奥さんを呼んで欲しい」、「どうかしているんじゃないか。1丁半も行くために電話引いているんじゃない」、「自転車で行けば良いだろう」、「自転車はない」、「自転車位買ったら。月賦で買えるよ」、「自転車まで買って呼びに行く事は出来ないよ。それに菅原なんて知らないよ」、「そうは言うけど、名刺に刷ってある。下谷の4770番だろ」、「表札の脇の電話番号は外しておけ。呼べないよ」、「呼ばないんなら、夜通し電話するからな。睡眠不足になって薬でも飲め。バカ」、「生意気言うな。昼間ぐっすり寝ておくわ。バカ」、「バカ」、「バカ」。

「私なんかしょっちゅうよ。切っちゃえば良いじゃ無い。」、「それが切らせないんだ」、「食事にしましょう」。
「佐藤さんのお婆さんが来たわよ」、息子の会社に電話をしたいと借りに来たが、孫の事、嫁の事などを延々と話している間に、電話の事を忘れて帰ってしまった。 食事をしようと思ったら又誰か来た。
「俺が出よう」。
若い女性がやって来た。「私は23番地に引っ越して来ました長谷川と申します。よろしくお願いします」、「ご丁寧に。私山本です」、「お食事のところ申し訳ありません」、「食事は差し上げませんので、どうぞお使いください」。
「もしもし、火災保険会社ですか。2階で事務を執っている近藤を呼んでいただきたいのです。
もしもし、私よ。分からない?美佐子よ。引っ越したのよ。感じが良いところなのよ。みんなじゃないのよ、四畳半だけ。チッとも寄らないわね・・・、そんな忙しい? ・・・だって電話もないじゃない。ここの山本さんはとっても親切で、朝早くても夜遅くても大丈夫よ。来てくれないの。直ぐ重役と行くと言うんだから・・・。公衆電話は次の人が待っているけど、ここなら4~50分話しても大丈夫よ。もしもしぃ、こないだ女の人と銀座を歩いていたが、あの人はだ~れ? お母さんだってッ? お母さんは赤いハンカチーフを持って歩かないわよ。あんたの妹だって違うでしょ」、「おいおいおい、電話機にぶる下がってちゃ~ダメだよ」、「スイマセン。興奮しているので。貴方がそ~言うのなら会社に行くわよ。えぇ?そんなら解消するだって、解消したって良いけれど復讐するわよ」、「水を持って来い。いい加減にしなさい」、「スイマセン。男なんてみんな・・・、くやしぃ~」。

「電話賃も置かずに行ってしまった」、「私なんか、食事が何処に入ったか分からないわ。凄いヒステリーね。でもイイ女じゃないの。あのぐらいの事で解消問題になるかしら」、「それはそうかも知れない。よく考えてご覧、先の会社が火災保険じゃないか。あんなに焼かれる奴は考えるよ」
三笑亭笑三師が昭和53年頃に現代のニュータウンでの噺として演じたことがありましたが、無理があったように思われます。 電話というものが贅沢で〇世帯に一台という時代だからこそ、成り立つ噺でしょう。
前半の自分の都合ばかり押し付けながら呼び出しを頼んでくる電話相手とその家の主人のやり取りや、興奮すると自分を抑えられなくなる嫉妬深い女の件は現代でも十分に面白いです。
現在You tubeに残っている三笑亭笑三師演にある通り、電話を引いている世帯の少なかった時代の噺として是非語り継いで欲しい噺の一つです。
西岸良平先生の原作「三丁目の夕日 」が山崎貴監督により映画化され、素晴らしい興業収入を得たのをご存知の方も多いかと思いますが、観る動機としては「昭和三十年代が舞台だから」という意見が多かったようですね。
昭和の良き時代を懐古したいという想いはその時代から生きている人の中では強いかも知れません。聴いていて「『昭和時代』はこんな感じだったな」と感じさせてくれる落語があったら面白いななんて勝手に思ってたりしています。

「古典落語」として後に語り継がれ得る落語は上記ばかりではないでしょう。またこの辺りも折を見て触れてみたいと思います。
。
コメント